その後の「まわりのアメリカ」 <紺碧海岸・ニース番外編>

ニース・天使の入り江

  <その後のまわりのアメリカ 目次> 


6月22日(月):フランスへ

 国際的な歯科の学会がフランスのニースで24日から開かれるため,ノースカロライナでの研究成果を発表するべくエントリーをしておいた。今回の旅行は,同じ教室からのエントリーもなく,家族も日本に残すので,全くの一人旅だ。

雨の成田空港

 朝から全国的に雨。今回も個人旅行で,航空機のチケットも既に手にしているので,今回は,箱崎のシティーエアーターミナルでチェックインしてみることにした。預けた荷物は,飛行機の乗り換えがあるのにも関わらず,自動的にニースまで届くとのこと。箱崎から成田まではリムジンバス。今まで,どんな人が箱崎を使うんだろうと思っていたのだが,実際に自分が使ってみると,東京にいるうちに空いているカウンターでチェックインして身軽になれるのはけっこう便利だ。今回はJALでパリ,パリからはエールフランスでニースまでという経路。JALが発着するターミナルは,第2ターミナル。先日ユナイテッドで帰ってきた時の第1ターミナルに比べると,第2ターミナルは,ずいぶんと広く,近代的で快適に思える。

 日本は,アメリカと違って,飛行機に乗りこむ直前まで見送る人が一緒に入れないのは,少し無粋な気がする。まだ見送る相手が空港にいるのに,ずいぶん手前で別れないといけないのは間抜けな感じ。相手が乗った飛行機さえ,どれだかわからないし。なんとかならないものかなぁ。あともうひとつ,空港のターミナル内の店は,アメリカに比べると何か貧相にみえるのは,どうしてだろう?たぶん,きちんとした競争が存在しないせいだと思う。高校で昼飯のパンや授業で使うノートを買った購買部と大した差がない。

 飛行機に乗り込んだら,自分の席は,禁煙席の最後列。これでは意味無い。喫煙席と禁煙席を分けるのは,もうやめたらどうだろう('98年9月全席禁煙席になることに)。フランスは,今サッカーのワールドカップの真っ最中。日本戦のチケットだろうか,フランスワールドカップのチケットを大事そうに胸にぶら下げてつけている人もいたが,他人事ながら,人目に付きやすいので盗難に遭わないのか心配だ。機内で出されるワインには,ワールドカップのレーベルが付いていた。

 ユナイテッドに比べるとJALの日本語のアナウンスは,わかりやすいし丁寧なのだけど,丁寧すぎてちょっとうるさいような気もする。食事も,それほど美味しくない。まぁエコノミー席の客じゃ仕方ないか。でも,ドレッシングやバターなど,ずいぶん量が多いし,コーヒーをかき混ぜる棒もアメリカ風に単なる木の棒きれで構わないのに。もっと節約できるものもあるのに,こういうところに経営努力がでていないじゃないかな。

 機内の映画2本ともロビン・ウィリアムズが出ている,「フラバー」と「グッド・ウィル・ハンティング」。「グッドウィルハンティング」は,アメリカからの帰りに日本語の吹き替えで見たので,今回は,英語のまま見てみようとチャンネルを変えたらフランス語吹き替えのものしかなくて,びっくり。さすがフランス行きの便。

 もうどこの航空会社でも一般的なサービスのようだが,封切り後の映画とはいえ,まだ日本でビデオ化もされていないような新しい映画が,日本語吹き替えで見られるなんて,すごいと思う。さすがに,日本語吹き替えを行っている会社は,一緒らしく,アメリカの帰りに見た「グッドウィルハンティング」とフランス行きの機内で見た「グッドウィルハンティング」は,声も内容も全く同じものだった。が,フランス語吹き替え版もつくっていたとは!アメリカで一緒のESLだったフランス人のJ君が言っていたのだが,フランスに来るアメリカ(外国)映画は,日本と違って,ロードショーでも,基本的にはフランス語吹き替えで公開されるのだそうだ。

 予定より30分ほど早くシャルルドゴール空港に到着。いきなり未知のフランス語かと身構えるも,案内は,英語とフランス語で表記されているので,それほど不安はない。なんとバーガーキングもある。入らなかったけど。アメリカ文化は,ここまで進出していた!

シャルルドゴール空港・

Fターミナル

 

 

 

 

 ドゴール空港に着いたら,ワールドカップの雰囲気に圧倒されるかと思いきや,それほどでもなく,まわりを見渡す限りは,小さなインフォメーションセンターがぽつんとでているだけだった。アメリカでは,アメリカもフランスのワールドカップに出場しているのに,やっぱり盛り上がっていなかったのは,他に人気の高いスポーツがあるからだと思う。好きなスポーツを好きなだけ応援できるのは,精神衛生上とてもよい事のように思える。でもフランス,しかもパリの空港で,この盛り上がりのなさは,どうしたことだろう?

 空港内に置かれているモニターを見て,ニースへ行く乗り換えの飛行機を確認すると,ターミナルFから出るとのこと。Fだって?ガイドのどこにもFなんて書いてなかったぞ。どうやらこのターミナルは,すごく新しいものらしい。空港には,列車の駅もあり,パリからは,TGVだと7時間。

 案内板を確認しながら,なんとかターミナルFにたどり着くと,チェックインカウンターがあったので,1時間後に出るニース行きの飛行機は,どこから出るのか尋ねたら,F−29だとのこと。しばらくそこで待っていたが,いっこうに案内が表示されない。集中インフォメーションのモニター画面でもう一度確認したら,いつの間にかF−33に変更されている。ここでは,よく変更されることがあると,ガイドブックに書いてあったとおりだ。危ない,危ない。

 結局,飛行機が時間通りに来なかったためか,予定より1時間ほど遅れて,搭乗。もう日本時間だと夜中の1時頃なので,ちょっと疲れてきている。飛び立つと同時に,軽い眠りに落ちたが,飲み物が配られているときに目が覚めてしまったのは,根性が卑しいせいだろう。フランス語訛りの強い英語のアナウンスでも,何度も遅れを謝っていた。

 空から見る青い海は,初めて見る地中海だ。海岸線に沿って,まるで海につっこむかのように飛行機は高度を下げていくと,前方に突然飛行場が現れ,無事ニース・コートダジュール空港に到着。実は,ニースの空港は,33カ国の海外都市を結んでいるというパリに次ぐ大きな国際空港。

 眠気からか,とても頭が重い。荷物を無事受け取って,空港の外に出る。空港からは,市内まで約10分ほど。パリから一緒だったK先生たちと一緒にタクシーで,ニースの中心部へ。背の高いシュロ並木の中央分離帯が,南仏のリゾート気分を盛り上げる。ニース市内まで7キロ。タクシー代は,日本円で2,500円くらい。ちょっと高いんじゃないかな。空港からは荷物込みの値段になるようだ。

 僕が滞在するホテルは,プラザコンコルドというホテル。ガイドブックによって,プラザホテルとかプラザコンコルドホテルとかいろいろと表記されているので,ここが本当に自分のホテルなのか一瞬ちょっと不安だった。しかもホテルの中に入っても,まだ「コンコルド」の入っていないただの「プラザホテル」と書いてあるものもあるので,きちんとしてほしいぞ。

ホテルの部屋

 サマータイム中とはいっても,10時を過ぎてもまだ明るい。ホテルの窓から外を見ると,地中海は見えなくて,裏通りのアパートかホテルの壁。洗濯物など干してあって,意外と庶民的な絵だ。海が見える部屋を期待していたのだが,もうフロントに何か言う元気もなかったので,そのままメラトニンを飲み,泥のように眠る。

部屋から外を見ると...洗濯物が! 海はどこ?

 

6月23日(火):昨日は,夜11時頃寝てしまったので,朝5時頃目が覚めてしまった。

 ガイドブックの裏にのっていたクレジットカードで,かける国際電話で,日本に電話をしてみた。日本より−7時間の時差。今まで−13時間の時差のノースカロライナで暮らしていて,日本に帰国して2週間ほどでまた時差のあるところに来たので,なんだか身体が追いつかないようだ。

 7時から朝食。1階にあるフロントの前を通って,専用の階段を使って2階にあるレストランに行くのだが,まず部屋からは,1階までエレベーターで降りないといけない。が,エレベータ内のボタンを見て気が付いた。エレベーターのボタンは,0(ゼロ)を押さないと1階にはたどり着かないのだ。1のボタンでは客室のある2階についてしまう。フランス語の1階は,日本で言う2階のことらしい。ややこしいな。

 階段を上がるとウェイトレスが「ボンジュール」と。「おはよう」も「ボンジュール」でよいらしい。僕のは,朝食付きの宿泊プランなのだが,アメリカでは,朝食付きの場合でもチップをテーブルに置いていくのが普通だったので,みんなどうするかゆっくり食事をしながら見ていたら,誰も置いていないので,僕もそのまま帰ってきた。たぶんそういうものなんだろう。

ジャン・メドサン(Av.Jean Medecin)大通り

 学会は明日からなので,今日は特に予定がない。空は,どんよりしているが,早速いろいろ歩き回ってみることにする。街に出ると,路上駐車の多さが,よりごみごみとしたものに思わせる。プジョーのパトカーが違法駐車を取り締まり,プジョーのレッカー車がその車をどこかへ牽引して行く。日本だったら,ちょっとした高級外車が,普通の車両として使われているのは,不思議な感じ。でもフランス車が多いかと思うと,この辺りで見かける車は,意外とフォルクスワーゲンが多く,なぜかベンツを見ると,たいていタクシーだ。

南国の樹木も

 ニースで見るルノーやシトロエンは,やっぱり日本で見るより街並みに似合っていたような気がした。フォルクスワーゲンやベンツもフランスのナンバープレートをつけるとそれなりに見えるので,あまり根拠はないが。トヨタとホンダは見かけたが,ここではあまり日本車は一般的でないようだ。しかし,どの車もこれでもかというくらい,細い道でも構わず飛ばすので,フランス以外の国から来た人がレンタカーであちこち回るのは,危ないと思う。違法の路上駐車のチェックもずいぶん厳しいようだ。

 ニースにほど近いマルセイユでも何試合かフランスのワールドカップが開催されるためか,ここを根城にしているらしいサポーターをよく見かける。ブラジル,イランは確認。顔にペインティングして昼間からビールで祝杯を挙げている人もいたりして,あぁ,テレビと同じだぁなどとつぶやきながら横を通る。

ニースの中心地

 ニースでは,海岸のすぐそばまで山が迫ってきているので,道路の幅はそれほど広くなく,旧市街地に入れば,車が擦ってしまいそうな狭い路地ばかり。そこここで店の外までテーブルを出しているレストランやカフェがたくさんあって,チーズの焼けたにおいなどが鼻を刺激する。ホテルやアパートもひしめき合うようにして建っている。花市場や野菜や果物を売る屋台が道の真ん中に続く。表通りに面した出窓では,どこでも花を飾っているのは,いかにもフランスらしい。また,路地裏を駆け抜ける風がここちよい。店の人たちも,この風に負けないようテーブルクロスやナプキンに少し重めの布を使ったりと工夫しているようだ。陰にはいると湿度がそれほど高くないことがわかる。

旧市街の路地

 しばらく歩き回ってみると僕の滞在するホテルは,ニースの新市街のメインストリート,ジャン・メドサン(Av.Jean Medecin)大通りにも近い便利なところであることがわかった。この通りにあるニース・エトワールは有名なショッピングセンターらしい。この建物の前では,待ち合わせの人たちや行き交う人たちで賑わっている。そういえば,マリ・クレールなんて雑誌は,こっちが本家なんだなと,バス停の広告を見て気が付く。

ニースの案内地図

 また,ホテルからは海もすぐそばだ。海岸通りは,1820年代にバカンスに来ていたイギリス人が資金を集めて,海岸線沿いに遊歩道を造らせたことから。プロムナード・デザングレ(Promenade des Anglais;イギリス人の散歩道)と呼ばれる。これは失業者対策にもなったのだそうだ。海岸線が大きく弓なりに弧を描いている部分は,「天使の入り江」だ。その海岸線とすぐそこまで迫る山は,そのまま絵になる風景。

ニース・エトワール・ショッピングセンター

 ニースにも,マクドナルドがあった。が,フランスでハンバーガーでもないので,今のところ,お世話になるつもりはない。でも一人だとレストランに入ってもつまらない。仕方がないので,昼は,泊まっているホテルの屋上にレストランがあるというので,行ってみた。目の前に広がるコートダジュール(紺碧海岸)。でも,もうちょっと天気が良ければなぁ。

ホテルの屋上から海岸を望む

 Loup(スズキの仲間,ルーと発音する)を注文した。焼き上がった魚の,肉の部分だけ取り分けで,皿に盛りつけてくれた。皮が美味しいのにぃ。と思ったが,よけいな口出しはやめておいた。バター風味のソースをかけていただいた。ちょっと塩が足りなかったので,足したら,すっごくおいしくなった。ちょっと行儀悪いけど,ま,いっか。

 こちらでは,メニューがフランス語だけで書いてあることが多いと聞いていたので,持ってきたガイドブックに載っている付け焼き刃のフランス語講座で,いろいろ単語を仕入れてはみたものの,やっぱりなかなかピンとこない。まぁ英語でも結構通じるんだけどね。ホテルにいる人もフランス人が多いようだ。ハローといって,ボンジュールと返ってくるのは,やはり自国の言葉に誇りを持っているせいだろうか。

ちなみにフランス語で,数は,

0:zeroゼロ
1:unアン
2:deuxドゥー
3:troisトロワ
4:quatreカトル
5:cinqサンク
6:sixスィス
7:septセット
8:huitユィット
9:neufヌフ
10:dixディス

 英語の時より,さらに数はわかりにくい。フランス語で尋ねることはできても,返ってくる言葉を理解することができないのは,仕方ないな。

 ランチの後,海岸通りを歩いてみた。プライベートビーチとパブリックビーチが隣り合わせになりながら,どこまでも続く。やや天気が悪いものの,確かに浅瀬はエメラルドのような青が見られる。紺碧の名前の由来通りだ。プライベートビーチ付きのレストランが海岸沿いに所々店を広げる。まぁ,海の家みたいなもんだ。実は,この浜辺は,ごつごつした石の海岸。でももうすぐ人工的に砂浜に変えるそう。いったい,どうやるんだろう?

石でごつごつしたビーチ

 また,市街地では有料の公衆トイレと外貨の両替所を町のあちこちで見かける。公衆トイレは,一人入れば,いっぱいになりそうな大きさ。公衆電話は,何だか色使いが良くて,あか抜けたデザインだ。火曜日休みの美術館が多くて,今日は入ることができず。

映画の広告塔。奥に電話ボックスが。

 1仏フラン=25円見当で換金してきたのだが,慣れるまでは,値段を見ただけでは,高いのか安いのか,すっと入ってこないが,計算してみるとたいがい日本よりも高い。さすが世界に名高い観光地だけのことはある。結構物価は,高いぞ。硬貨は9種類もあるとのこと。面倒!さらに50フラン札は,サンテグジュペリの肖像と星の王子様のお札。色使いは,さすが芸術の国,フランス。

 フロントで教えてもらった近くにあるデパート”ガレリエ・ラファイエット”まで,ちょっと買い出し。途中の本屋で絵はがきとワールドカップ記念のキーホルダーなどを購入。

 デパートでは,トラベラーズチェックを使おうと思ったら,パスポートを見せろと言われて,鞄の奥底にしまってあったので,ちょっと焦る。面倒だなぁ。4,5階建てで,従業員もほどほどいるし,アメリカのようにだだっ広いフロアではなく,ちょっと歩けばその階のものを全て見て回ることができる広さになっているところなどは,デパートの雰囲気は,かなり日本のそれと近い。ホテルの冷蔵庫にもエビアンが入っているのだが,ものすごく高かったので,デパートの地下のスーパーで,ミネラルウォーターなどを手に入れて,ホテルに戻った。町の所々には,地元の人が行くようなスーパーマーケットがあるので,長めの滞在の場合は,こういうところで食料を手に入れておくのも賢いかもしれない。

今日は,一日曇りだった。今日,ニースで見かけた日本語:合気道,生け花,カラオケ。

 テレビは,深夜放送はあまりないようだ。MTVとCNNがあって英語で放送されているので,フランス語を聞くよりは,さすがに楽。いくつかの局で,ワールドカップの試合は,絶え間なく放送されている。そうそう,仕事で来ているんだ。浮かれてばかりもいられないので,学会場のチェックなどもしてみた。ちょっと発表用原稿の下読みなんぞもしてみた。

 

6月24日(水):朝から学会が開かれるので,アクロポリスまで徒歩20分の距離を歩いた。それほど暑くない。10時から登録受付ということだったのだが,10時についたのに,もう会場は人でいっぱい。受付に長い列ができていて,しかも全然前に進まない。段取りが悪すぎる。結局自分の名札をもらうまでに1時間半かかった。もう今日は,これで十分だ。

IADR(International Association for Dental Research)の会場入り口

 ニースは,フランス5番目の都市。人口は,約35万人。1年間にニースを訪れる観光客は,300万人以上。コートダジュールを訪れる人の3分の1は,ニースを選んでいるのだそうだ。ちなみに気候だが,冬は,平均11℃,春は,平均14℃。初夏から夏にかけては,平均19〜24℃。10月にはいるとぐっと平均気温が下がるが,それでも18℃。ニースにあるホテルは,約200軒でおよそ1万室。カフェは,およそ260。ティーサロンはもっと多くて,1500軒。レストランは,ほぼ1000軒だそうだ。まぁ,よくこんなところで学会をやる気になったというか,人を集めるには,「ニース」「コートダジュール」というネームバリューが必要だったのかも。

 カフェやブラッセリーでは,店の外に座る人の方が多いようで,道行く人や通りの景色を眺められるように,椅子もすべて外側を向けてある。アジア人は珍しいらしく,何人かのグループで一緒に行動していると,結構じろじろ見られているのがわかる。

店の外の席の方が人気が高い。

 昼からは,ノースカロライナのTさんと一緒に旧市街を歩き,細長いクールサレヤ(サレヤ広場)という広場にあるル・サファリで,ワインで一杯やりながら,魚介類のフリッターなどでランチ。美味。ここは,ニース名物の花市場があり,野菜などを売る朝市を中心に両側にカフェやレストランが続く。一人では,なかなかオープンエアのカフェには入りにくかったので,嬉しかった。そうそう,英語のメニューがないかと聞いたら,出してくれた。地元の人と観光客とで値段が違うということはなさそうだ。

ル・サファリ(奥)

 ニースは,紀元前4世紀にギリシャ人が住み始め,1860年にフランスに帰属した街。すぐ隣は,イタリアなので,もちろんイタリアの影響も強く受けている。旧市街地には,17世紀のままのイタリア様式の建物が多い。まるで迷路のように入り組んだ路地に,古い建物がひしめきあって建っている。と思うと,突然目の前に広場が現れ,驚かされることも。華やかな海岸通りとは,実に対照的だ。路地裏の散策は,思わず時間が経つのも忘れてしまいそう。

花市場とカフェ

 会場にまた戻り,学会発表を聞く。世界各国の人たちがいる場所にいると,何だかアメリカに戻ったような錯覚を覚える。東京の自分の大学から来ている人たちにも会うが,日本に帰ってからまだ間もないままニースに来たので,ここで初めて挨拶する人もいる。まだ帰っていないと思っている人たちも。もちろんUNCの人たちにも出会うため,フランスにいるのに,日本にいるようなアメリカにいるような,でもフランス語も聞こえてくるので,何だか本当に自分がどこにいるのかわからなくなる。

 夕方からは,広島大学のA先生と一緒に,夕食。大失敗。ミシュランを持ってくれば良かった。美味しくないところもあるんだなぁ。でもお客さんは山ほどいたんだけどね。

失敗したお店

 それにしても,のどが渇く。それほど湿度は高くなく,ちょっと歩いたりすると汗がじわっと出てくるので,水を買っておいたのは,正解だった。

 

左:電源用コンセント,右の縦長の穴は,電話用のジャック。特殊な形態をしている。

6月25日(木):今日は,朝からかなり晴れた。暑くて,背広を着て学会場などに行こうものなら,溶けてしまいそうになるのは分かり切っていたので,ポロシャツとジーパンで出かける。いやぁ,自分の発表は今日ではないし,昨日も結構この服装の人がいるので,許されるだろう。

学会場となった,アクロポリス

 自分の興味あるトピックを選んで話を聞く。歯科の総合的な学会なので,日本人でも僕の専門と分野の異なるような普段会えないような人とも会うことができるし,同じ分野の外国人とも気軽に英語で話せるようになったのは,やっぱり1年間の留学のおかげだろう。発表し終わった人を直接捕まえて,話をする度胸もいつの間にか,ついていた。厚かましくなっただけかもしれないが,他の国の人とわりと楽に話せるようになったのは確かだ。充実した一日だった。

 ニースでは,アメリカと違ってどこでもたばこを吸う人をよく見かける。それも女性の方が目立つような気がする。建物の入り口に禁煙のサインがついていても,なかで堂々と吸っているのは,お国柄なのだろうか?初日の学会場の混乱などを見ても,おおらかというか,いい加減なところはアメリカと同じだが,アメリカのような魔女狩り的な禁煙傾向は見られない。

 夕食は,ホテルのすぐ裏にある,ニース料理の店,ミシュランでは二つ星のボッカチオで。魚介類のスープとパエリア。今までいった店のなかで一番美味しかったのはいうまでもない。隣の席はイタリアから来たという女の子達。すぐ隣の国がイタリアだというのに,店員は,彼女たちに英語で話しかけていたのが妙だった。

ボッカチオ

 ニースには,この学会のために来た日本人がたくさんいるので,ニースについて詳しく書かれているガイドブックは,そうはないし,みんな情報源は同じらしく,ちょっと「有名な...」とか「美味しい」とかいうレストランには必ず日本人のグループが。

 

6月26日(金):今日は,僕が研究成果を発表する日だ。英語で口頭発表するのは初めてだったので,ちょっと緊張したが,持ち前のいい加減さで,なんとか乗り切った。と思う。

活発な討議が行われた発表会場

 それよりも,以前から自分の研究を進めるときにいろいろと参考にしていた論文をいくつも発表していたW先生にまったく偶然だが,お会いすることができたことが,今日一番の成果。以前手紙を送ったりしたこともあり,覚えていてくれたようで,とてもびっくりしていたようだ。これからは少しずつ手紙を書くことにしよう。アメリカ人と英語で話すのもそれほど辛くなくなってきている。

 まわりの人たちの話を聞くと結構みんないろいろと観光しているみたいで,気がついてみると自分は,もう明日ニースを発たないといけない。なんだかちょっともったいないことをしたような気がする。かといって,一人で歩き回るのも限度があるので,仕方ないことだろう。でも,だいぶ裏道には詳しくなったけど。

 それにしてもどこへ行っても暑い。学会場にいてもじわっと汗をかくほどだ。アメリカのクーラー効きすぎの環境が懐かしい。

 デパートでお土産になりそうな紅茶や娘の服などを買い込んでホテルに戻った。絵はがきの相場は,約2フラン(50円)から,一番安いところで,1.30フランというところもあった。

 ニースでハンバーガーなど食べるものかとは言ったものの,やっぱり気になって仕方がなかったので,結局入ってしまった。ビッグマックが約450円。ちょっと高い。新商品と称して,ベーグルサンドが売り出されていた。味は,やっぱり日本の方がうまい。なぜか中に挟まれているバンズが堅くて,なんだかビッグマックじゃないみたい。

 というわけで,残された時間を有効に使うために,夕方8時半より,夜のツアーにでかける。ニースから外に出るのは初めてだ。ホテルに置かれていた日本語のツアーパンフを見て,フロントの人に電話をしてもらった。ガイドは,ダンディーな日本人の井上さん。

まずは,ニースの隣町,ビルフランシュへ。

ビルフランシュ

 ヴィルフランシュは,石段と坂道の多いニースの隣の港町。ニースよりもだいぶ落ち着いた雰囲気だ。マルチアーティスト,ジャンコクトーが愛してやまなかったことでも有名。港沿いは,石畳の道が続き,港の反対側には,イタリアンやシーフードのレストランやカフェが並ぶ。街灯もクラシカル。ジャンコクトーの像の背後にある小さなサンピエール教会も,彼が漁師達のためにリフォームしたもの。ニースからは,駅2つ。

コクトーの像

 

 

映画「美女と野獣」で使われた城

ミック・ジャガーの別荘

 

 

 

ニースの隣は,イタリアだと何度か書いたけど,実は,間にひとつ国がある。それがモナコ公国。ここは,言葉も通貨もフランスと一緒だが,世界で2番目に小さな独立国。狭い国土に所狭しとモナコ港を囲むように近代的なビルが建ち並ぶので,フランス側とは,ずいぶん雰囲気も異なる。F1グランプリのコースとして使われる時期には,一般車両での立ち入りが禁止されてしまうそうなので,モナコに滞在するのが一番便利そうだ。F1のモナコ・グランプリが行われるコースそのものも(さすがにレースカーではないが)車で一周してもらった。スターティンググリッドが道に書かれていたり,街角のところどころの縁石には紅白に塗らているのが,妙にリアル。 ヘアピンもトンネルもテレビのイメージのまま。ニースと同じように決して道幅は広くないので,ここをF1マシンがびゅんびゅん飛ばすかと思うと,F1パイロット達の技量と度胸?は,ものすごいモノなんだと思い知らされる。

 港に泊まっているヨットに,イギリス船籍が多いのは,未だにイギリスが世界の富を握っているからなのだそうだ。海洋博物館,13世紀に作られたモナコ大公宮殿,11時55分からの衛兵の交替パレードは見物だそうだ。夜なら,宮殿広場の目の前に車が停められる。

王宮の前で

 モナコは,とても小さな国なのに,観光が重要な資源というだけあり治安にもかなり気を使っている。十分すぎる数の警官を配置し,しかも街のいたるところにビデオカメラがおかれているので,何か事件が起これば,すぐに警官が駆けつけられるようになっている。隣のニースに比べて,治安は比べものにならない位良いとのこと。

 そして,モンテ・カルロ市。昼間なら海洋博物館は,外せないだろう。そして,有名なカジノ,超老舗オテル・ド・パリとカフェ・ド・パリが相対峙する。元は,オリーブ畑だったなんて信じられないほど,超高級ブランドのブティックも建ち並び,とにかくゴージャス。夜景も豪華そのもの。カジノの中には,オペラハウスもある。国営のカジノには,なんとモナコ人は入れないのだそうだ。スロットマシンが整然と並べられている。ルーレットのまわりには,人だかりが。写真・ビデオ撮影禁止。部屋は豪華そのもの。

高級車がずらり

 もちろん,せっかくここまで来たのだから,僕らもやらないわけがない。フランをチップに替えて,まずは,ルーレットへ。テーブルを取り囲むたくさんのゲストが置いた全てのチップを手際よく係がさばく。見事なものだ。特に戦略もなく,いい加減なところに何度かチップを置いたのだが,ビギナーズラックか,ちょっとだけ増えた。熱くなる前にと,チップをそのままスロットマシン用のメダルに替えた。かける値段によって,マシンも違う場所に置かれているのだが,できるだけ長く遊べるように,せこく一番安い台の前へ。スロットマシンは,日本製じゃないかと思うような電子機器のマシンなので,あまり格式があるわけではない。そしてメダルは次々と飲み込まれ,アッという間にスッカラカンに。こんなもんだろ。

カジノの外観(中は,写真撮影不可)

 帰り道は,少し別の経路で,エザへ。ここでは,シャトー(城)ホテルの代表格,シャトー・エザからのながめを堪能。遙か眼下にあるニースの夜景にしばし見とれる。

エザ

 フランスでは,すべてのホテルに星がついていて,これは国が決めた規格に沿ってつけられているのだそうだ。入り口のホテルの名前の近くには,星がいくつか必ずつけられている。ただ同じ星の数でも,程度の違いがあるとのこと。ある程度の目安にはなるようだ。

 ホテルに戻ってきたのは,11時を回っていた。近くのラ・タバーン・メセナで,もう店じまいだというのに,無理矢理頼んでビールを一杯。やっと観光地に来た気分。

このナイトツアーでお世話になったのは,

Yokoso F.I.T.Tours
Inoue Koji
E-mail:yokosofittours@minitel.net
T/F:04 93 82 43 50 T/P:06 03 69 38 47

とても気持ちの良いガイドツアーでした。

6月27日(土):学会も最終日。今日で帰るのに今日が一番天気がよいのが悔しい。既に暑くなり始めていたので,歩くのはやめてバスで学会場へ。

 ホテルのインフォメーションには,延長ステイができるようなことが書いてあったので,フロントで尋ねてみると1時までだという。何とか2時にならないかといったら,人を馬鹿にしたように苦笑しながら断られた。このホテルは,サービスのなんたるかがわかっていないよ。四つ星がついているのになぁ。アメリカの方が,ホテルは気持ちよく使えたような気がする。もちろんチェーンにもよるのだけれど。

 ホテルの前の公園で何かフェスティバルをやっていたのが気になってたので,あまり時間はなかったが,寄ってみると,本の展示即売会のようだった。すべてフランス語の本で,あまり残された時間もなかったので,ざっと見てまたホテルに戻り荷物をまとめた。

ホテル前で開催されていた,本のフェスティバル

 悔しいので1時ギリギリになってからフロントでチェックアウト。外でタクシーを待とうと思ったら,いっこうに空のタクシーが来ない。仕方がないので,フロントまで戻って,タクシーを呼んでもらった。別にチップを上げなくても良いらしいのだが,チップを含めて150フラン(3800円くらい)。

ネグレスコホテル:ニースの象徴的なホテル4つ星ホテル。ホテルのとなり,19世紀のマセナ宮も見所のひとつ

 ニース・コートダジュール空港は,国内線と国際線のターミナルが異なる場所にある。行きはパリからだったので国内線のターミナル2,帰りは,ロンドン(ヒースロー)経由になるので,国際線のターミナル1。空港に早くつきすぎたので,空港の店を冷やかして歩いた。やっぱり何でも高い。コーラに500円も取るかぁ?でもいちいち計算するのも面倒くさいし,細かい現金を残しても仕方がないのでボールペンや駄菓子などを買い込んだ。

コークの文句もフランス語。

 そろそろチェックインが始まりそうだったので,行ってみたら,なんだか長蛇の列ができている。それも超無秩序。少しぐらい整理しろよ。もともとのんびりしているお国柄なのか,フランスは,どうも段取りが悪すぎる。チェックインが済むと,やっと一息。機上の人になる。

 日本便への乗り換えのために寄ったヒースロー空港は,雨。アジアに向かう便は,すべてターミナル3から。フランスとイギリスでは,時差があるのに気づかないと,乗り換えの時間がないと勘違いしてしまうかもしれない。建物の中央には,なんだか駅ビルのようにデューティフリーショップなどが並んで,たぶん日本人がまだ一番いいお客さんなんだろうな。景気が悪いとはいえ,海外旅行のおみやげ物には弱そうな日本人がそこここに。さすがに僕は,もう何も買う気力もなかった。

 日本に向かう飛行機のあるターミナルまでは,さらに歩く,歩く。ずんずん進んで着いたところは,なんだか隔離されたような場所で,あまり心地よくない。また喫煙席がある飛行機だ。日本では喫煙のマナーがまだ一般的ではないのだから,航空会社は,喫煙する人に向けて,吸わない人へ配慮するよう一言付け加えるべきだと思う。のどがもう苦しくなってきた。風邪をひかなければいいのだけれど。あともうちょっとの我慢だ。

 目をつぶって休む努力をしなかったので,日本では,またしばらく時差ボケに悩まされそうだ。


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